ジンメル『生の哲学』における「生の超越」

  • ジンメル生の哲学』、1977年 Amazon
  • Georg Simmel, Lebensanschauung, 1918, 2.Aufl, 1922 full text
  • ジンメルの最晩年の著作。邦訳の訳者あとがきによると、「肝臓癌により1918年9月26日午前9時に60歳で逝去したジンメルが、9月13日に最後の校正にとりかかったこの著作は、自ら語るように『わたしのわずかな智慧の究極の結論』であった」という(p.312)。以下、「生の超越 Die Transzendenz des Lebens」と題された一章の冒頭部分から少し引用する。
  • 生の超越 
  • 「人間の世界的な地位は次のことによって規定されている。すなわち、人間はその性状と態度のいかなる次元の内部でも、いかなる瞬間においても、二つの限界〔Grenzen〕にはさまれた状態にある、ということである」(ジンメル(1977:9)) 
  • 「それ〔Dies.二つの限界〕はわれわれの生存〔Dasein〕の形式的な構造となって現われるのであり、この構造は、生存の多彩な領野、活動、運命のなかで、そのつどつねに別の内容によって満たされている」(ジンメル(1977:9))
  • 「われわれはいつもいたるところに限界をもつ。このことによってわれわれはまた限界でもある〔Damit, daß wir immer und überall Grenzen haben, sind wir auch Grenze〕」(ジンメル(1977:9f))
  • 「というのは、感情、経験、行為、思想といったいかなる生の内容も、特定の強度……特定の位置とを所有しているからには、そのいずれからもそのつどひとつの系列が二つの方向に向かって……ゆくことになるからである」(ジンメル(1977:10))
  • 「けれども、このように確定されていること〔diese Festgelegtheit〕は、われわれの現実存在の限界性格のもつ最も決定的な意義にとっては、たかだかその出発点を成すものでしかない」(ジンメル(1977:10))
  • 「というのは、限界一般はなるほど必然的ではあるが、個々の特定の限界はどれも踏み超えることができ、確定されていること〔jede Festgelegtheit〕はどれもずらすことができ、制限はどれも突破することができるからである」(ジンメル(1977:10))
  • 「もちろん、こうした活動はいずれも新たに限界を見いだすかあるいは作りだす」
  • 「限界には二つの規定がある」(ジンメル(1977:10)) 
  • 「ひとつは、限界の存続はわれわれに与えられた世界的な地位と結びついているがゆえに限界は絶対的なものであるという規定であり」
  • 「もう一つは、およそ限界というものは原理的には変え、乗り超え……ることができるがゆえにいかなる限界も絶対的なものではないという規定である」(ジンメル(1977:10))
  • 「これら二つの規定は、それ自身において統一体を成す生の活動を分解したものとして現われる」
  • 「無数の例からほんの一例だけを示そう。それは、この過程の動きと、われわれの生の持続〔Dauerbestimmtheit unseres Lebens〕がこの過程によって規定されていることとにとって、きわめつきの例である。すなわち、われわれの行為の結果に関する知と無知〔Wissen und nicht-Wissen〕である」(ジンメル(1977:11))
  • 「われわれはみなチェスをする人に似ている。指し手が、一手からどんな結果が生じるかを実戦にまにあう程度に予測できないならば〔mit dem praktisch ausreichenden Wahrscheinlichkeitsgrade〕、このゲームは成立しない。とはいえ、彼の読み筋がどんな任意なところにまでも及ぶとすれば、このゲームはやはり成り立たないのである」(ジンメル(1977:11))
  • 「〔つまり、〕哲学者は知れる者と知らざる者とのあいだに位置するというプラトンの定義は、人間一般にとっても通用する。われわれの生のいかなる歩みも、その歩みの帰結を見渡すということによって例外なく規定されており、また可能となるのである」(ジンメル(1977:11))
  • 「けれどもそれは、ほかならぬ生の歩みである以上、われわれがその帰結を、それがその先で消失してしまいついには眺望から消えうせてしまうような或る限界までしか、見通していないということによって規定されており、また可能となるのである」(ジンメル(1977:11))

  • 阿部謹也『西洋中世の罪と罰:亡霊の社会史』、弘文堂、1989年
  • 読了。おもしろかった&勉強になった。この方の本は昔いくつか読んだが、どうもぴんとこなくて数冊でやめてしまった記憶がある(世間論とか)。それもあって敬遠していたが、思いがけずたのしめた。
  • はじめに
  • 1. 古ゲルマン社会の亡者たち
  • 2. 死者の国と死生観
  • 3. キリスト教の浸透と死者のイメージの変化
  • 4. 中世民衆文化研究の方法と『奇跡をめぐる対話』
  • 5. 罪の意識と国家権力の確立
  • 6. キリスト教の教義とゲルマン的俗信との拮抗:贖罪規定書にみる俗信の姿
  • 7. 生き続ける死者たち
  • あとがき

  • はじめに
  • 1 死と民俗:遺骨崇拝の源流
  • 2 神話に現れた世界像
  • 3 大嘗祭と王位継承
  • 4 浄穢の中の王権
  • 5 二つの肉体:チベットにおける王位継承と転生思想
  • あとがき
  • 現代文庫版あとがき
  • 解説(赤坂憲雄

  • 波平恵美子『病と死の文化:現代医療の人類学』、朝日選書414、朝日新聞社、1990年
  • 読了。第一章以外は、1986-1990年にかけて発表された文章を加筆・修正したもの。「日本人の死生観」「癌告知」「脳死と臓器移植」「エイズのイメージ」などさまざまなテーマが取り上げられている。とりわけ、医療人類学自体を中心に論じた第11-14章がおもしろかった。たとえば、医療人類学をバイオエシックスとを対比させている以下の箇所等である。なぜこうした対比がおもしろかったというと、他の文献、たとえば、バイオエシックス生命倫理学)の説明をした文献で対比的に医療人類学が言及されるような場面を目にしたことがなかったから。まあ、どちらの分野にも詳しいわけではないので、知らないだけの可能性が高いとは思うが、とりあえず、引いておく。

1970年代に入っての、アメリカにおける医療人類学の発展は、発表された論文数や著書の増加、学会での口頭発表数の増加、大学や病院や福祉・医療関係の領域への医療人類学者ないしその訓練を受けた者の進出などによって測ることができる。そして、その背景には、例えば、米本昌平『先端医療革命』の中で論じているような、アメリカにおける医療状況の革命的とでも呼べる大きな変化があった。安楽死、臓器移植、遺伝子組み換え技術、出産時の重症障害児の延命措置、重度の植物状態の人の延命などに関して、急速に進歩する医療技術が結果としてもたらした状況において、医療従事者や患者の家族が人間の生と死とをめぐってその判断が分かれる事例が、次々と出てきた。・・・・・・・
 /これらの問題は「バイオエシックス生命倫理)」という新しい言論の領域の発達を促したが、バイオエシックスが、あくまでもアメリカの社会的・経済的・政治的・文化的な枠組みの中で是非を論じるうえでの理論構成であったのに対して、医療人類学は、そのアメリカの、あるいは西欧的、キリスト教的な文化基盤そのものをも相対化することをめざすものであり、アメリカにおける医療状況が深刻で基本的な問題を提出すればするほど、それを相対化してゆく視点を鍛えていったと言える。その一方では、医療人類学の下位領域として、応用人類学としての「臨床人類学(clinical anthropology)」が発達し、医療現場で生じる様々な問題解決学としての方法を発達させてきている。
 /バイオエシックスとは根本的に異なる立場に立って、人間の生と死、そして老化という問題を、それが人間すべてに共通しているゆえに、医療人類学は特に問題にしてきた。(pp.220-1)

  • 波平恵美子『日本人の死のかたち:伝統儀礼から靖国まで』、朝日選書755、朝日新聞社、2004年
  • 読了。勉強になった&おもしろかった。とりわけ、著者が1964年からつづけた村落調査でのエピソードを集めた第三部「さまざまな死のかたち」には考えさせられた。あとがきによると、『病と死の文化:現代医療の人類学』(朝日新聞社、1990年)の続編とのことなのでそちらも読んでいる。以下の件は、自戒の意味もこめて、引いておきたい。

昔は現在と違って一組の夫婦に子どもが何人もいたのだから、一人や二人子どもが死んでも親の悲嘆はそれほどでもなかったろうと考えるのは、現代の人びとが過去の人びとについて抱きがちな誤解である。確かに、一組の夫婦が十五、六人も子どもをもつことがあったが、そのうち成人する子は少なかった。また、周囲の夫婦が多くの子をもつのに一人も生まれないか、生まれてもやっと一人か二人であり、その子どもたちも成人前に死亡してしまうという家も決して少なくなかった。聞き取りによって家系調査をすると、子が生まれないか次つぎに死亡したため、養子をとる例が非常に多い。子どもの命は実にはかなかったようである。
 一九一〇(明治四三)年生まれのある女性は次のように思い出を話した。長女であるその人を頭に両親にはすでに六人の子どもがいたが、七人目の男の子が、一歳未満で何の病気だったのかわからないが、死んだ。葬式の日、母親は激しく泣き崩れ、いざ出棺という時にその子の名前を泣きながら何度も呼び、「お母ちゃんも○○ちゃんについていきたい」と言ったという。それを聞き、当時十三歳の少女であったその人は、「私たち六人の子を残してお母さんは死にたいの。それじゃあ残った私たちはどうすればいいとお母さんは思っているんだろう。○○ちゃんほどには私たちのことを愛してくれないんだ」と思い、激しく母親を憎んだという。泣き崩れた母親が、残りの六人の子どもたち全部合わせたよりも、死んだ一人の子どもが可愛いと思ったのでは決してないだろう。しかし、どんなに子どもの数が多くても、とくに生まれて間もない幼い子の死は、親たちの悲嘆の種だったようである。(pp.97-8)

  • 小杉礼子編『大学生の就職とキャリア』、勁草書房、2007年
  • 読了。勉強になった。多くの調査結果はそんなものだろうなあというか予想に反しないものだったが、いくつか意外な指摘もあり考えさせられた。たとえば、大学生に「仕事に就いたらうまくできる自信があるか」を尋ねた結果を紹介している以下の箇所である。自信のない若者・学生みたいなステレオタイプをもっていたので、そうでもないのかと考えさせれた。

「仕事に就いたらうまくできる自信がある」者もまた、いずれのエリアにおいても女性よりも男性の割合が高く、四国以外のエリアで統計的に意味のある差が見られた。とくに関東、近畿の男性で「あてはまる」の割合が七割を超え、大都市圏の男性が自信があると回答する結果となった。女性も同様に関東、近畿で「あてはまる」の割合が比較的高いが、それでも六割に満たない。とくに、甲信越、北陸、中部、沖縄の女性で「あてはまる」と回答した者が五割に満たず、低くなっている。(pp.86-7)