魚住昭『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』

deneb2017-01-20

  • 魚住昭『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』(講談社、2007年10月発行、252p ; 20cm) http://amzn.to/2ijva7v
  • 雑誌『世界』(岩波書店発行。2006年11月号〜2007年3月号、9・10月号)掲載の「聞き書 村上正邦 日本政治右派の底流」に加筆・修正したもの。
  • 労働大臣、参院自民党幹事長などを務め、「参院のドン」の異名をとった右派政治家、村上政邦(1932年生)の経歴を聞き取りした証言録。生い立ちから、自身の原点であるという政治家玉置和郎や生長の家とのかかわり、優生保護法改正運動、元号法改正運動、日本会議設立まで言及している。2017年ベスト10候補。
  • 注目したいのは、その家族観である。というのは、彼の家族観は、靖国参拝などを進める彼の右派的国家観と共通点があるように思えるからである。
  • 村上の両親は愛媛県西条市出身で、同県にある別子銅山で働いていた父は博打打ちでもあった。「羽振りのいいときは人力車で山越えをして道後温泉に行き、一晩遊んで帰ってくる。ひどいときは一週間も帰らない」ほどだったという (p.28)。
  • とうぜん、彼はそんな父をこころよく思わない。「亡くなったときは『これで良かった』とさえ思ったほどでした」。ところが、生長の家の道場で「錬成」(修行のこと)をするうちに、「そんな親父に対する感情が変わりはじめ〈母や私たち兄弟を苦しめつづけた父でも感謝しなければならないのか〉と、深刻に悩むようになった」(p.85)。そこで彼は神秘的な体験をする。1962年夏のことである。

講師の先生が、妾を三人も囲っている父親の実相(本当の姿)を拝み出して、幸福になった青年の体験談を話してくださった。…父と母、さらに祖先は、木にたとえれば根にあたる。子孫は枝葉だ。根元を大切にしなければ枝葉は栄えない。父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。…しかし感謝しようにも父のいやな思い出は消えない。…感謝の思いなんか湧いてくるはずがない。しかし、その一方で心の底から『お父さんありがとう』と言いたかったんです。もう神に祈る以外にないと思いました。…『神様どうか父に感謝できる心境にならせてください。谷口先生、お導きください』…やがて目の前が瞬間パーッと明るくなって、払っても払っても消えなかった父のいやな姿がすーっと消えました。代わって、慈愛に満ちた父の笑顔が私にほほえみかけてきた (p.85)

  • 神へ祈る中で、自分の中に存在した父を否定したいという気持ちと、父に感謝したいという気持ちの葛藤が消えていったというのである。彼はこう結論している。「親父の実相は、慈愛深い笑顔だった。親父は私を生長の家の教えに導くために現れた観音菩薩だったんです」(p.87)
  • このエピソードが興味深いのは、それが単なる家族観にとどまるようには思えないからである。“自分と密接につながる対象に対して肯定的な愛情で向かいあうことで、否定的な感情をのりこえていくべきだ”村上は家族以外についてもそう考えているふしがある。
  • 例をあげよう。彼は 2001年3月にKSD事件で受託収賄容疑で逮捕。無実を主張するも、検察に不条理な取り調べを受け、有罪判決を受けた。

私は今度の事件に遭遇して初めて、自分がイメージした国、自分が愛した国家と現実の国家がまったく別物であることに気づかされました。私は現実の国家に裏切られたのかもしれません。それでもなお私は言いたいんです。私は自分を生み、育ててくれた親を愛し、妻や子どもを愛し、この国を愛していると (p.238)

私が愛する国家とは、魚住さんがおっしゃるような、官僚に支配された偽物の国家とは違うんです。…私が求めてやまぬ真実の日本国とは、万邦無比の邦、これを社稷と言ってもいい。つまり日本古来の共同体なんです。古来、日本人は政治とは、天の心と、人の心を祀り合わせること、つまり政(まつりごと)と考えてきました。神の御心にかなう政治こそ、日本人にとっての政治だったんです。相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきもののない、そのような邦を、この日本に実現するために、私は政治に命を懸けてきたのです(p.244f)

  • 現実にある「偽物の国家」ではなく理想的な「真実の日本国」を愛している。そして、そんな理想の国家を実現させるべく努めてきたというのである。こうした主張と、父親の実相にふれたという神秘体験の物語とのあいだには共通点があるといえる。いずれも自分と密接につながる対象に対して肯定的な感情を貫くことで、否定的な感情をのりこえていくべきだとしているからである。本書の副題「我、国に裏切られようとも」は、こうした彼の基本的な態度を的確に表現している。
  • おそらくここに右派の強みがあるのだろうと思う。ときに嫌悪の対象である家族や国家をそれでも肯定したいという欲望を否定せずに、嫌悪を乗り越える方法を教える。本書から見えてくるのは、そんな右派の政治的倫理的役割である。
  • 本書のほかに、現在の村上の政治的倫理的姿勢を伝えるものとして、政治評論家山本峯章との対談を収録した『『情』の国家論』(山本峯章ほか著、光人社、2008年)、2011年6月16日から2012年8月21日までのブログをまとめた『政治家の『あるべきようは』』(村上正邦著、文芸社、2012年)、自身の体験を交えて政治家観などを語った『だから政治家は嫌われる』(村上正邦著、小学館、2014年)などがある。