• 香山リカ『就職がこわい』講談社、2004年
  • 図書館から入手できたので、ようやく読了。が、少しもこわくない。(参照。)著者の「分析」はおどろくほど首尾一貫していないように思えるし、そこから導かれる「若者」に対する「願望」や「要求」にもたいして共感できない。たとえば、以下のような記述;

‥‥就職率の低下とナショナリズムとのあいだには一見、何の関係もなさそうだが、その根底には「何も考えられない」「自分の状況がよくわからない」といういまの若者特有の心理傾向が隠れている。
 大学の卒業研究でも、最近「和」や「ニッポン」をテーマにした作品や論文が増えた。口頭発表のとき、彼らは言う。
 「私は日本に生まれ、日本的なデザインを身近に感じて育ってきましたから、今回、キモノの文様について研究してみることにしました」
 彼らの研究は、判で押したように日本文化のすばらしさを賞賛するような結論で締めくくられる。‥‥〔中略〕‥‥
 ある教官が言った。
 「最近、和紙だとか祭りだとかの研究が多いけれど、何のテーマも考えつかない学生が、“そうだ、自分は日本人だった”と思い出して、最後のよりどころとして日本文化にかけ込んでるんじゃないかな」
 何も考えられず、自分が何をしたいのかもよくわからないので、アイデンティティの一部であることがあらかじめわかっている「日本人」「日本文化」にすがろうとしているわけだ。「日本人として生きる」といった強い決意を秘めての選択などでは、もちろんない。たとえて言うなら、使えるコネのなかでも最も見端が良いのがこれだった、という感じだ。(pp.161-2)

これのどこが「何も考えられない」「自分の状況がよくわからない」若者だというのだろうか。よくわからない。そうではなくて――ある教官のセリフから推測するに――何かを考えてしまっている&自分の状況もわかってる「若者」が、「使えるコネのなかでも最も見端が良いのがこれだった」ように思える。もちろん、それでよい、といいたいわけではない。また、「判で押したように」同じような結論は、読んでいてつまらない、というようなことはあるのだろう*1。けれども、そうした経験は、そうした結論を書いたひとびとが何も考えていないことの証拠にはならない。したがって本書は――上に引いたような著者のロジックに納得できないので――少しもこわくない。

*1:たぶん。