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- 上野直樹『仕事の中での学習:状況論的アプローチ』、東京大学出版会、1999年
- 出版社(目次あり):
- お買いもの。良書。フーコーについて書かれている箇所↓なんかは以前思ったこと(参照)とほとんど同じでうれしいようなかなしいような。
フーコーは『監獄の誕生』において、病院、学校などにおける十八世紀からのファイリング技術の進展に着目している。たとえば、十八世紀の病院や学校において、“帳簿”を用いて個々人を組織的に記録することによって、ある特徴的な形で個人が可視的なものになったというのである。すなわち、一方で、こうした“帳簿”によって母集団の平均や分散といった形で、“マス”の特徴が可視的になるであろう。そして、もう一方で、こうした平均や分散との対比によって、そこからの逸脱やはみ出しとしての“個人”も可視的になるのである。このようにして、○○家の長男といったコンテキストにおける個人といったものとは、まったく異なった個人が可視的になり、組織化されているというわけである。
しかし、フーコーによれば、こうした“帳簿”あるいはファイリング技術は、すべての人に等しく事態を可視的にするわけではない。むしろ、管理したり、監視したりする側は、こうした“帳簿”によって不可視になっているというのである。(pp.179-80)