• ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換(第二版):市民社会の一カテゴリーについての探求』、細谷貞雄・山田正行訳、未来社、1994年(原著1962年、二版1990年の訳)[bk1]ISBN:4624011236
  • お買いもの。「世論の誕生」とかいうタイトルにすればもっと売れたのでは、なんて思ったりしないでもない今日このごろ。というか、そうであれば少なくともわたしはもっと早くに読んでいたような。

 英語とフランス語で《opinion》という語は、ラテン語の《opinio》(不確実な、まだ十分に立証されていない判断、臆見)というありふれた語義をひきついでいる。プラトンの《doxa》からヘーゲルの《Meinen》にいたるまでの哲学的術語は、この点で日用語の自己理解にそっている。けれどもわれわれの論旨からいえば、《opinion》のもうひとつの語義、すなわち《reputation》(われわれが他人の評判の中で帯びる姿、名声、声望)のほうが重要である(3)。まだ真理性の立証が欠けている不確実な意見という意味での《opinion》は、核心においては当てにならぬ大衆的評判という意味での《opinion》と結びつくのである。そのさいこの語は集合的意見という語調のひびきを強く帯びており、したがってその社会的性格を示唆するすべての修飾語は、冗語として割愛できるほどである。たとえば《common opinion》《general opinion》《vulgar opinion》などという合成語は、シェイクスピアには全く見当たらない。まして《public opinion》は話題にのぼらないし、《public sprit》という言葉もない(4)。同時にフランス語では、風俗習慣、一般に流布した考え方や普及した慣行は、簡単に《les opinions》と呼ばれている。
 もっともこの《opinion》が十八世紀後半に造られた《public opinion》《opinion publique》となって、判断力ある公衆の論議を指して用いられるようになるまでの経過は、一直線の発展ではなかった。それというのも、単なる意見とか、世人の意見の鏡に映る評判とかいう本来の語義は、公論が標榜する合理性と対立関係にあるからである。‥‥(pp.128-9)