• ジェイ[1973=75]『弁証法的想像力』
  • 読了。

 おそらく、このモティーフ〔階級闘争や資本主義にとどまらず、それらを包み込みさえする自然と人間という大きなモティーフ〕は、もっとも明白には、ホルクハイマーの教授資格論文である『ブルジョワ的歴史哲学の起源』にあらわれでていた。実際この論文で、ホルクハイマーは、ルネサンスの自然および技術観を政治的支配に直接に関連づけていた。自然の世界を人間の操作とコントロールの場とみる新しい観念は、人間自体を支配の対象とみる同様の観念に対応する、とかれは論じた。かれの眼からみてこの考え方をもっとも明確に示す代表者は、マキアヴェリであり、その政治的道具主義は、興隆しつつあるブルジョワ国家に役立つように用いられたのであった。その背後にあったマキアヴェリ政治学は、人間と自然との非弁証法的な分離と、この区別の実体化であった、とホルクハイマーは主張した。そこでかれは、マキアヴェリに反論して、「自然」は二つの面で人間に依存していると論じた。すなわち、文明は自然を変えるのであり、また人間の自然観も変わるのである。こうして歴史と自然とは、相容れない形で対立しているものではなかった。
 しかし、この二つはまったく同じものではなかった。ホッブスとのちの啓蒙期の思想家たちは、ちょうど自然が新しい科学において対象化されたのと同じように、人間を対象に化して人間を自然に同化させた。かれらの眼には、人間も自然も機械にすぎなかった。その結果、自然は永遠に反覆するものという前提的観念が人間に投射され、人間の主観性に密接に結びつく歴史的な発展能力は否定された。このような「科学的」人間観は、その進歩的意図にもかかわらず、現在の永遠回帰を内含していたのである。
 しかし、ホルクハイマーがかれの近代初期の歴史哲学の研究を締めくくるのに選んだ人物、すなわちジアンバッティスタ・ヴィーコの場合は、そうではなかった。‥‥(pp.375-6)