• リオタール[1979→1986]『ポストモダンの条件』
  • 再読。二章まで。
  • 第二章:問題:正当化

 われわれの仮説は平凡であると言ってもいいかもしれない。だが、それが平凡であるのは、それが科学と技術の進歩というパラダイム一般を問題としない限りにおいてであるに過ぎない。科学と技術の進歩というパラダイムに対するまったく自然の反響をなしているように思われるのは、経済成長と社会・政治権力の発展というパラダイムである。科学技術の知が蓄積されるということは自明なこととして認められており、せいぜい人は、その蓄積の形態について議論するだけである。つまり一方では、蓄積は規則的、連続的、満場一致的だと想像され(2)、他方では、周期的、非連続的、想像されているというわけである。
 だが、これらの明証性はまことしやかではあるが、偽りである。まず第一に、科学的知が知のすべてではない。それはいつでも余分な知だったのであり、われわれが単純化して物語的知と呼び、のちの詳しく性格規定することになるもう一種類の別の知と、絶えず競い合い、対立し合ってきたのである。‥‥(pp.22-3)

 それはとりわけ――第二の点になるが――、この問題が、正当化という本質的な問題と関わってくる限りにおいて、一層強調されなければならない。(p.24)