• ジャン=ミシェル・アダン『物語論:プロップからエーコまで』、末松籌・佐藤正年訳、白水社文庫クセジュ873)、2004年
    • Jean-Michel Adam,Le récit1984,1999.
  • 軽い本。ハーヴェイ・サックスへの参照(p.150)もあっておどろくというか違和感というか。ちなみに冒頭にはこんな例も:

 ある事件が一つの物語となるためには、それは、時間的に秩序づけられて一つの話を形成する少なくとも二つの命題の形で語られなければならない(1)。理論家たちはみな次のようなたぐいの基本的な定義に到達している。
 「このメッセージによって、なんらかの主体(生物か無生物かは問題ではない)が、まずある時間 t に、次いで t+n に置かれること。そして、t時の主体を特徴づけていた述語から t+n 時に何が生ずるかが言われること。」(ブレモン『物語の論理』、九九〜一〇〇頁)。(p.19)

 次のような最小の物語も、部分的にはこの定義に適っている。 

  • 〔1〕子供が泣いた。パパは彼を腕に抱いた。

 最初の物語命題(ここでは第一文)と第二のそれ(第二文)とのあいだには、一方で時間的かつ因果的な隣接ないし継起の関係があり、他方で一定の演技者、すなわち pn2 で「彼」として再登場する「子供」の存在がある。〔ブレモンによる〕定義とくらべれば、子供を pn1 で特徴づけていた述語から pn2 で何が生じたのかは言われていない。パパの腕に抱かれたときに、彼は泣きやんだのか。この物語はそれを明らかにしておらず、その意味で欠落がある。〔1〕の読み手ないし聞き手は、さしたる根拠もなく「pn1=泣く」と「pn2=腕に抱く」とのあいだに一つの関係を想定する。すなわち、子供をなだめる(もしくはこれに失敗する)あやす行為である。(p.20)