『アンティゴネー』劇において悲劇的な形をとっている理性形式は、政治的なものである。しかも詳しく言えば、共和主義的なものである。なぜなら形式性と反形式性との対立としてのクレオンとアンティゴネーとのあいだには、平衡があまりにも厳密に保たれているからである。ことにこのことは、クレオンがかれの下僕たちからほとんど酷遇される結末の箇所に現われている。
 ソポクレスがそのようにしたことは正しい。かれが表現したことは、かれの時代の運命であり、かれの祖国の形式なのである。美化・理想化はしようと思えばできるだろう。例えば最善の時点を選んで、それを芸術化することもできよう。しかし祖国に行われている諸観念は、少なくともその列序の点では、詩人が世界の縮写的表出を志す以上、かれの手によって変更を加えられることは、あってはならぬのである。現代のわれわれにとって、このような形式は極めて有効なものである。もともと、国家の精神や世界の精神のように無制限なものは、不完全な視点から捉えるよりほかに捉えようのないものであるから。‥‥(「『アンティゴネー』への注解」、p.63)