• 桃木至朗『歴史世界としての東南アジア』、世界史リブレット12、山川出版社、1996年 [bk1]
  • 読了。おもしろかった&勉強になった。
  • 東南アジアの「インド化(Indianization)」論:

 第二次大戦後、東南アジアという地域呼称が普及し、一九四九年にロンドン大学に、世界ではじめて「東南アジア史」の講座が設置された。その教授D.G.E.ホールは、一九五五年に最初の詳しい概説『東南アジア史』を出版した。
 ただそれは、東南アジア各国・各地域の歴史の寄せ集めにすぎなかった。東南アジアのほぼ全域をカバーし、それが一つの歴史的地域であることがわかる前近代史を最初に書いたのは、フランスのジョルジュ・セデスだった。1944年に戦時下のハノイででた『極東のインド化された諸国の古代史』初版はほとんど注目されなかったが、『インドシナインドネシアのインド化された国々』と改題された一九四八年第二版と六四年第三版、とりわけ後者の英訳(一九六八年)によって、世界はその事実を知った。
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 インド化の定義は「インド的な王権概念に基礎をおき、ヒンドゥー教・仏教儀礼と〔ヒンドゥーの〕プラーナ神話、ダルマシャーストラ〔律法〕の遵守などで特徴づけられ、サンスクリット語を表現手段とする、組織的な文化の拡大」(一九六四年版、三八頁)であった。ただしそのなかでは、法や組織よりもハイネゲルデルン流の王の神聖性と、輝かしい美術的創造などが強調される。(p.32-3)

 前述した扶南〔1-7c?〕の建国説話の存在は当然、インド化の証拠として重視される。扶南自身を含め、四世紀末から五世紀の諸国でバラモンが王になったりインドの制度を導入したと語る中国の記録が多く、そのころからサンスクリット碑文も本格的に登場するので、セデスは一〜二世紀の扶南の建国のあたりを「第一次インド化」、四世紀末〜五世紀を「第二次インド化」と呼んだ。
インド化論はどこまで有効か?
 このセデスの枠組は、大きな影響力をもった。日本の高校世界史の学習指導要領が一貫して、大航海時代以前の東南アジアを南アジア史に付随させ、独自の節を設定しない(ヴェトナムの場合は東アジアの周辺とし、フィリピンの前近代はふれない)のも、そのあらわれだろう。(p.34)