• 李成市『東アジア文化圏の形成』、世界史リブレット7、山川出版社、2000年 [bk1]
  • 読了。読みやすかった。
  • 中国文化(とりわけ漢字文化)を受容しなかった叶蕃:

 七世紀はじめから九世紀中ごろにかけてチベットに成立した古代統一王国。この国を中国側は叶蕃と呼び、この名は十四世紀中ごろまでチベットの呼称として用いられた。支配層は遊牧生活を基本とし強大な軍事力をほこった。シルクロードを支配して国の経営を成り立たせることをめざして唐と戦い続け、その目標をとげた。(p.13)

 この叶蕃は当初、唐に留学生を送って、統治技術や文化を摂取しながら法律を定め、古代国家としての諸制度を整備した。また唐の仏教をも受容した。しかし、七世紀前半には固有のチベット文字を使用し始めており、漢字を定着してそれを用いるというようなことはしなかった。
 とくに注目されるのは、叶蕃では八世紀後半からインド仏教を積極的に受容し、九世紀前半には大蔵経チベット語訳をほとんど完成させていたことである。これは朝鮮・ヴェトナム・日本において正式に固有の言語で翻訳しなかったのとは大きなちがいである。また、チベットでは国制や法制度においても、唐の影響を受けなかったわけではないが、その民族的色彩が濃厚であり、律令の編纂もおこなわれていない。(p.13)