後漢礼教国家は宦官・外戚の跋扈による内部腐食と黄巾の乱による権威失墜によって崩壊し、禅譲革命によって魏王朝が成立する。魏は四〇〇年続いた漢の権威を相対化するために新しい礼制を導入する。その理論家として利用されたのは、後漢末期、宦官によって中央をおわれ、黄巾の乱によって辛酸もなめた鄭玄[127-200]という経学者であった。
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 魏において鄭玄説に真っ向から反対した経学者が、王粛[195-256]である。(pp.34-5)