• 豊田充『いじめはなぜ防げないのか:『葬式ごっこ』から二十一年』、朝日新聞社、2007年
  • 読了。勉強になったが、p.206の<表2>だけはやや疑問に思った。いわき市いじめ自殺事件判決が「予見可能性」を認めたものとされているのである。誤植なのかもしれないが、本文中でも、この判決について、「判決文にありがちな難解な表現だが、内容はわかりやすく、『悪質ないじめがあるなら、予見可能性など問う必要もなく、自殺するかもしれないと思うべきだ』という意味である」と述べていたり[p.208]、「予見可能性を認定した平野訴訟判決、いわき支部判決」[p.211]と書いてあったりするので、すこし混乱した。素直に判決文を読めば、自殺についての「予見可能性」は否定されているとするべきだと思う(『判例時報』1372,p.42など。自殺についての予見可能性といじめの予見可能性を分けて考えている例については以下を参照:市川須美子「福島地裁いわき支部『いじめ自殺』判決の意義と問題点」『ジュリスト』,No.976,1991)