不断の辛苦:

研究成果と称されるべきものの真の諸前提となりうるのは当然次のような命題でなければならない。すなわち、それらの命題が言表する事柄は、“十全的現象学的に正当化され”ねばならない、つまり極めて厳密な意味での[訳注]明証によって充実されねばならない、という要請を充足するばかりでなく、更に、それらの諸命題は、それらが直線的に論定された意味でのみ、今後も用いられねばならない、という要請をも充足するような命題でなければならない。
(『論理学研究2』,序論,p.29)

現象学的関心が支配的な場合は、われわれは次のような難問題に苦しめられる。すなわち、確かに無数に体験してはいるが、しかし通常は対象的に意識されていない現象学的諸関係を記述せねばならず、しかもそれらの諸関係を、通常の関心の領域や現出する対象性のために定められている表現によって、記述しなければならない難問題に苦しめられるのである。
(同書,1/10,pp.52-3)