カッシーラールネサンス文化におけるヴェサリウスの位置」(1942) in 『シンボルとスキエンティア』、ありな書房、1995年、pp.109-120

 ‥‥たしかに医学は中世ではきわめて高い評価を受けていた。それはすべての中世の大学において席を得ていた。‥‥それにもかかわらず、ある困難な問題が残されている。中世思想の一般的原理――存在の順位と価値の順位の対応の原理――によれば、結局医学は低い地位で満足しなければならず、最高次の尊厳へと昇る望みを抱くことはできない。というのは、それは肉体に関する学問だからである。‥‥ルネサンスにおいてすらこの見解はまだ一般的に認められていた。‥‥サルターティ〔『法学と医学の高貴性について』〕は、法学という学芸と医学という学芸のどちらがより上位で高貴かという質問を発している。彼によれば、この問いに対する答えは明白である。サルターティの著作の中で医学という学芸が語るところでは、「医学では一時的なものを扱うが、法学は正義という永遠的なものを扱う。医学は大地にその起源があるが、法学は天に源を発する」。
 医学一般から解剖学へ進むと問題はいっそう不確実で困難な様相を呈する。というのは、解剖学の対象は生きている肉体ではなく死んだ肉体だからである。そして存在の位階制において死体は下位のものの中でもっとも下にある。このような見方はルネサンス期においてはけっして稀ではなかった。‥‥ヴェサリウスが生活し活動していた状況はそのようなものだった。これらのことすべてのためには、大きな知的力だけでなく道徳的な力も必要だった。知識への熱烈な欲求のみならず、大きな道徳的な力、恐れを知らない勇気も必要だった。(伊藤和行訳)(pp.113-5)