ピコ『人間の尊厳について』(1496)大出哲ほか訳、国文社、1985年

《人間は、さまざまで、多様で、しかも定まらない本性を持つ動物である。》
 しかし、〔このような人間の本性は〕どのような目的のためにあるのでしょうか。それは、われわれに次のことを理解させるためです。すなわち、われわれは『自分がそうありたいと欲するところのもの』 id quod esse volumus になるという条件の下に生まれついているからには、われわれは《おまえたちは誉れの中にあったので、自分が知恵のない獣や駄獣同然のものになるのを知らなかったのだ(1)》という言葉がわれわれに向かって発せられるのではなく、むしろ、預言者アサフの《あなたがたは神々であり、すべていと高き者の子である》という言葉こそが発せられるように、何にも増して配慮しなければならないことを理解させるためです。こうした配慮は、われわれが、父のこの上なく慈悲深い「寛大な自由」を、すなわち、彼(父)が与えた「自由な選択」 libera optio を誤用して、救いをもたらすもの salutare から罪 noxia をわれわれ自身につくり出さないためなのです。
 われわれは、凡庸なものに満足せずに至高なるもの summa を熱心に求め、そして、(われわれは欲すればできるのですから)到達すべきあのものへと全力を尽くして突き進むように、精神に「ある聖なる野心」sacra quaedam ambitio を吹き込もうではありませんか。‥‥(pp.20-1)