ジルソン『中世ヒューマニズムと文芸復興』佐藤輝夫訳、めいせい出版、1976年

イタリア文芸復興〔=ルネサンス〕が聖トマスのこうした力の徳と、その徳から出てくる壮麗と寛宏とのこうした賛美を果たして聞かなかったと思われるであろうか。イタリア文芸復興がなしえたことは、これらの諸徳を神に関係させるかわりに人間だけに限定して、その超自然的目的から切り離してしまうことであった。イタリア文芸復興はこれらの美徳の品級を覆し、それを悪化こそせしめたかもしれないが、これを創造することはできなかったのである。なぜならばこれらのものはすでにトミズムによって分類され、定義され、加特力〔カトリック〕の教義の中に併合させられて彼等の眼前に置かれてあったからである。文芸復興と中世紀との相違は、過剰による相違ではなくして欠乏による相違である。普通に人々が述べているような文芸復興は、中世プラス人間ではなくして、中世マイナス神である。そしてその悲劇は神を失うことによって文芸復興がやがて人間自身をも失うところにあった。けれどもこのことは語れば長い別の歴史に属する事柄である。(「中世ヒューマニズムと文芸復興」(1929)、pp.54-5)