エコ[1987]『中世美学史』、而立書房、2001年

 ダンテを相変わらず中世的たらしめたこと、それは、彼が要するに、文学テクストは無限に多くの意味をもちうるわけではないとの見解に立っていたという事実にあった。‥‥しかしながら、ダンテ以後に変化するのは、まさしく知の宝庫としての百科事典なる概念なのだ。‥‥世界が無限であり、森羅万象が共感と類似との絶えず変化する網に従って互いに結びつきうるのだとしたら、世界という象徴の森への問いかけはいつも開かれていることになるであろう。しかも、この問いかけが開かれていればいるだけ、それは困難となるであろうし、諸問題は把握しがたく、神秘的になるであろう‥‥スコラ哲学の教育的態度が寓意を実践し正当化していたのは、無教養な人びとをも含めて、みんなに神秘を説明するためだった。ルネサンス期の象徴主義が異国風の聖刻文字[ヒエログリフ]や未知の諸言語に頼っているのは、秘伝を授けられた者たちにしか解らない真理を、俗衆から隠すためなのだ。ピコ・デッラ・ミランドラはその『弁明』(Apologia)の中で書いている――エジプトのスフィンクスは、神秘なドグマが俗人には謎のまま隠されていなければならないという、われわれへの警告なのだ(「エジプトの寺院に彫刻されたスフィンクスは、神秘的ドグマが謎めいた難問のせいで多くの俗人たちには侵されないままに守られるよう忠告していた」)、と。(pp.250-1)