アメリカ人の間には、品質改善とコストとは、相互に比較考量すべきトレード・オフの関係にあるという考え方が根強い。つまり、会社の目的は利益であり、品質改善はその手段にすぎないから、収益にプラスになる範囲で品質改善の努力をすべきであるというわけで、ちょうど、設備投資の収益率を算定するのと同じように、品質改善努力の収益率を計算したうえで、それに着手しようと真面目に主張する人も多い。
 また、経営学の教科書でも、コストをかけて品質改善をするべき商品と品質改善にあまり努力しない商品とを商品の特性によって区別せよと教えている。このような考えの人に反論するのは、大変骨が折れる。「会社である以上、儲からねば意味がない。十分の利益が期待できないコストは負担するべきでない」という主張に対して、実証的に反論することは難しい。実際には、品質改善の収益性分析など、労多くして、その結果の数字の信頼性は、きわめて疑わしい。この場合の利益は、長期的に生ずる無形のものが多いから、数量化することは難しい。一方、品質改善のコストは、たしかに、新鋭設備を導入するならば、大きな額になるが、不注意によるミスをなくすための努力や作業方法の効率化のための小さな改善は、コロンブスの卵のような小さな工夫やコストのかからない努力でできることが多いのだから計測することは難しい。
 ちょうど、「勉強しなさい」と母親にいわれた子供が、「勉強すれば、将来、いくら儲かるか教えてくれければ嫌だ」といい返すようなものである。母親は、勉強は良いことであり、きっと儲かるはずだと確信はしているが一時間勉強したことによって「いくら儲かる」と計測はできない。(pp.46-7)