読み終わらない

 伝統的な教会の考え方では、使徒自身の著作ではないが、使徒の直弟子で、使徒の権威を忠実に再現しているものをこう呼んでいる。むろん実際には、新約聖書に「使徒」自身の著作がないのと同様(パウロを別とすれば)、使徒的教父の中にも使徒の直弟子はいない。しかし、イグナティオスなど、使徒の生きていた時代のことを知っている人物はいる。なお、最近日本語ではこれを使徒教父と呼ぶ人がふえたが、それでは何がなんだかわからない。使徒ではないが「使徒的」である、というのが言葉の趣旨なのだから、これははっきり使徒的教父と訳さないといけない。あるいは、一頃言われていたように「使徒後教父」と呼ぶか。(p.179)