• チャールズ・シンガー[1959→1999]
  • 第1部 生物学のむかし

 解剖学がはじめて学問として認知されたのは、このアレクサンドリアであった。科学の歴史においては、はっきりとこの「アレクサンドリア時代」を画することができる。この時代は紀元前の最後の300年間に相当する。プトレマイオス時代のアレクサンドリア学派の手になる生物学の文献は、不運にも散逸してしまった。しかし当時の生物学者のうち、わずかヘロフィロスとエラシストラトスの二人だけの著作が断片的に残っている。
 アレクサンドリア学派最初の重要な生物学の師は、ギリシャ人ヘロフィロス Herophilos(紀元前280頃)であった。彼は人体解剖をはじめて公開で行い、脳を神経系の中心として認め、知恵の座であると考えた。今でもヘロフィロスのつけた名称で呼ばれている脳の部分がいくつかある。‥‥
 ヘロフィロスは〔また〕動脈と静脈をはじめて明確に区別した。彼は、動脈は強く脈打つが、静脈の方は脈打つとしてもわずかであることを認めたのだが、この動脈の運動を心臓のはたらきによるものとは考えず、血管の自発的な運動であるとした。(pp.58-9)