我々はここで社会科学にこだわり、日本と西欧の個人/組織/社会のありさまを、できるだけ普遍的な文体で語ろうとしてきた。その理由は序章ですでにのべた通りである。日本人は長く近代を斜めに見ることに慣れてきた。それを自らの特権とさえ考えてきたわけだが、それは実際には劣等感の裏返しであった。「遅れているから先が見える」――少なくとも現在までのところ、この種の言説はドイツやロシア、日本や中国など、後発近代社会の心理的補償作用以上のものではない。
 そうした言説によって自己の痛みをごまかすのはもうやめよう。目覚めることなき夢を夢見るのはもう終わりにしよう。むしろ、そうした自己像/他者像をもってしまう自分自身をこそ見すえるべきではないか。――それが我々が社会科学の言語にこだわってきた理由である。
 だが、同時に我々はやはり近代におり、その近代にいる自己自身を問わないわけにはいかない。それは究極的には社会科学の言語を問うことである。
 社会科学は普遍性を追及する。その追求は当然、自己自身にも適用されなければならない。自らの術語系が普遍的なものかどうか、たえず反省することをせまられるのである。とりわけ、ここで我々があつかった了解の記述には、そうした相対性の問題がつきまとう。そして、率直にいえば、我々の探求において、その問題が完全に解決されたとはいいがたい。いや、それが最終的に解決できるかどうかすら、まだわからない。
 それはあるいは人間には知りようのない問題なのかもしれない。そうだとすると、結局、普遍性とは、自らの非普遍性を思い知ることにほかならない。そして、その意味で、社会科学はまさに近代社会の言説なのである。それは永遠の夢として、決して実現されることのない普遍性を夢見る言説なのである。
 我々が最終的に社会科学の言語にこだわるもう一つの理由がそこにある。‥‥(pp.331-2)