• ジェレミー・シーブルック『階級社会:グローバリズムと不平等』、渡辺雅男訳、青土社、2004年[bk1]
    • 原著:Jeremy Seabrook,The No-Nonsense guide to Class,Caste & Hierarchies,New Internationalist Publications and Verso,London,2002
  • 出版社:http://www.seidosha.co.jp/isbn/ISBN4-7917-6130-8.htm
  • 図書館もの。意外に読みづらい本。また、知っていることもしばしば。とはいえ、「階級」と「不平等」のちがいについて述べた以下の箇所など参考になる点も多い*1

 富と貧困に関する現代のデータはすべて、事実や数字から成り立っている。それはたんに現在の状況を述べているにすぎない。そうしたデータからは、このような事態がどのようにして起こったのか、あるいは、少なくともそれを変えるにはどうしたらよいのかといった点について、いかなる示唆も発見できない。データは、人々を描き出していない。国連諸機関、世界銀行国際通貨基金IMF)、西欧各国政府の対外援助プログラムすべてが、「貧困撲滅」のための戦略を謳い、「二〇一五年までに貧困生活者数を半減させる」ことを公約しているのも偶然ではない。撲滅運動は貧困という一つの抽象概念から人間性を救い出す助けにはほとんどならない。そして、そこには十分な理由がある。
 すでに見てきたように、階級概念は不平等という考え方に席を譲った。‥‥明らかに何気ない概念の変更が社会的不正に対する心理的な受け止め方の大きな変化を物語っている。
 階級間の闘争は視界から消え失せ、その代わりに、持てる者と持たざる者との連続的な連鎖が目の前に現れる。これは、専門家や政府や国際機関が取り組むべき純粋に管理上の問題として提起されている。〔階級概念を用いた〕階級的なアイデンティティーにせよ、階級的利害の対立の認識にせよ、その利点は、政治的解決への道が開かれている点にある。貧困の広がりを前に自己の富をこれ見よがしにひけらかす人々は、階級概念に立つことでその識別が可能になる。人々は、自分たちの不満を代弁してくれる政府を選挙で選ぶことで、行動を起こすことが可能となる。もしこれに失敗しても、人々はその簒奪者と対決することが可能となる。〔他方〕「不平等」〔の概念〕では、集団行動が可能となるようななんらかのグループに帰属しているという感覚は得られない。不平等は個人がどこに位置しているのかということである。階級は、改革や改善に取り組むにあたって、どこに所属するのかということである。‥‥「不平等」にはいかなる行為者も登場しない。
 不平等の犠牲者(下層階級や被抑圧階級の構成員とは対照的に)が自分たちの周囲の世界を眺めたとき、目にするのは他の個人だけである。なぜ彼らが自分の地位を隣人、同僚、友人、知人の地位と比較するのか、なぜ個人的な栄達を求めて、集団としての社会的進歩を求めないのか、その理由はここにある。個人の重要性が組織化された集団のもつ潜在的な力を押し退けたのである。「エンパワーメント(権限付与)」「インクルージョン(社会的包摂)」「パーティシペーション(社会的参加)」といった、無力を告白するだけの美辞麗句が生み出される状況は間違いなくこの事実のうちにある。(pp.67-8)

*1:長くなってしまったが、この本の「読みづらさ」はよくわかっていただけるはず。〔 〕は引用者による補足。‥‥は省略。