• スキナー[1988→90]
  • 読了。「問題提起」はよく理解できるが、その「解決策」はというと‥‥という感じ。いろいろ言ってみたいことはあるけれど、「問題提起」というのはたとえば以下のようなこと:

‥‥疑いもなくこの影響という概念は(原因から区別されなければならないとするならば)きわめて曖昧な概念ではあるが、さりとて説明能力を欠いているわけではまったくない(106)。しかし、危険なのは、この概念を、しかるべく適用するための十分条件、あるいは少なくとも必要条件が満たされているかどうかをまったく考慮することなく、明らかに説明的に用いるのがいとも容易だということである。‥‥たとえばエドマンド・バークの政治的見解の系譜なるものを考えてみよう。『現代の不満の諸原因についての考察』における彼の目的は「ボーリングブルックの影響を粉砕すること」であったとわれわれは告げられる(107)。そしてボーリングブルック自身はロックの影響下にあったと言われる(108)。次にロックは――その外見にもかかわらず――ホッブスからの影響を強く受けていたと言われる。『統治二論』第二部において彼は、「実際」ホッブスに言及する意図を持っていたにはちがいないか(109)、さもなければホッブスの影響に反撃することに関心があった(110)、という次第である。そして最後に、そのホッブスは、誰もが影響されたとされる(111)マキアヴェッリの影響下にあったと言われるのである(112)。
 これらの説明のほとんどは純粋に神話的である。そのことは、より以前のAという作者の「影響」に訴えることによってBという作者に現われたある教義の説明が助けられるための必要条件は何かを考えることによって、容易に証明される。そのような条件は少なくとも以下の三つを含まなければならない。
 (a)AとBとの教義の間に真正な類似性がなければならないこと。
 (b)BはA以外の作者の中に当該教義を見出しえなかったにちがいないこと(113)
 (c)類似が無作為であることの可能性がきわめて低いこと‥‥ (「思想史における意味と理解」)(pp.78-9)