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- 再訪:非連続性/認識論的断絶/長期持続
- なんどもありがとうございます。
まず、──なにしろよくわからなかった箇所なので、読み方については自信が無いのですが、しかし──この↑まとめは疑問に思いました。とりあえず、フーコー自身が使っている表現を言い換えずにそのまま箇条書きすれば、まとめとしては、こう↓なるかと思います:
「非連続性は歴史学の分析において三つの役割のもとに現れる。」「道具でも対象でもある」という文言は、C「概念」の項の中に、<諸領域の「個別化」と「比較」>および<「単位を崩す」と同時に「単位を打ち立てる」>と並列に、登場するものですよね。
そうですね。そのようにまとめたほうがよいですよね。わざわざ丁寧にありがとうございます(こういうところでなぜか丁寧に書かないわたし。。)
それはそれとして/しかしそれ以前に。
いま私が気にしているのは、
「非連続性を働かせることは、エピステモローグ&アナールに共通の仕事である」という主張を、フーコーは、どのようにしてもっともらしいものとして示せているか
ということでした。この疑問に対して、
「歴史家のじっさいの仕事を考慮に入れると」パラドクスではない
を答えにあてるのでは、問いを一つずらしたことにしかなっていません。というのも、
それでは、「エピステモローグ&アナールのじっさいの仕事」において、「非連続性」は、
どのような仕方で「認識論的断絶」かかわっているのか
どのような仕方で「長期持続」とかかわっているのか
そしてそれらはどのような意味で「同じ」だといえるのか
という──一歩退いた*1──問いがあらたにたてられるだけだから、です。
うん。よくわかりました。
整理してもらってだいぶ見通しがよくなりました。わたしが気になってしまったのは、その一歩弾く、というところがけっこう重要だと思ってしまったから、だと思います*1。なので余計な一言だったかもしれないのですが、にもかかわらず、丁寧なお応え感謝です。ありがとうございました。(で、じゃあ、その問いをどう考えるか、ということについてあれこれ書いてくれると、もっとうれしいです。(^_^))