一九五〇年代のアメリカの代表的な哲学雑誌の頁を繰っても、ウィトゲンシュタインから直接あるいは間接に影響を受けたと思われる多くの論文に出会う。だが、アメリカは、論理実証主義者の多くが亡命の地として選んだ土地でもあった。かれらは第二次大戦後もアメリカにとどまり、多くの弟子を育てることによって、この国の哲学を大幅に塗り替えつつあった。したがって、第二次大戦後のアメリカの哲学は、論理実証主義系の科学主義的志向によって彩られている。それでもイギリス、とくにオックスフォードの哲学がまだ影響力をもっていた一九六〇年代前半ぐらいまでは、ウィトゲンシュタインは読まれ議論されるべき存在であった。しかし、アメリカが英語圏の哲学の中心となるこの時期を境にして、ウィトゲンシュタインは、読まれることも議論されることも稀になった。このことは、私自身の経験からも言える。私は、一九七〇年代半ばにアメリカの大学で何年かを過ごした。その大学は充実した哲学のプログラムを誇っていたが、その何年かのあいだ、ウィトゲンシュタインについての講義や演習はまったくなかったし、他の講義や演習で課題として出される膨大な読書リストのなかにもウィトゲンシュタインの著作が含まれることはなかった。(p.310)