• 貴戸理恵不登校は終わらない』、新曜社、2004年
  • あわてて再読。しかしアマゾンでなんでこんなに↓評価が低いのかはげしく疑問。

センチメンタルな言説分析, 2004/12/16
レビュアー: ちゅら島 (プロフィールを見る)   東京都 Japan
不登校の問題を、所詮は自らに都合のいいように語っているような印象を受ける。不登校が今に始まった現象でないのなら、今の不登校問題はこれまで俗にいわれている言説とどこが違うのか。著者はこの点を問題意識の一つに掲げているが、もしそうだとしたら、もっと多くの不登校経験者を調査し、階層や世代、地域といった点からも分析する必要があるのではなかろうか?「語り」のみで語りきれるほど単純な問題ではないと思う。でないと、せっかくのインタビュー対象者も、著者と同様に、結局は豊かな社会から出てきたわがままな若者が不登校者に転じただけのことではないかとみなされてしまいかねないだろう。
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  • 「都合のいいように語っている」のは自分ではないか、とひとまず疑ってみるとよいと思う。ちゃんと以下↓のような断りのある本に対して、「〜〜も扱う必要があるのではなかろうか?」と問うのは、たとえていうなら、そば屋に対して、「ラーメンも扱う必要があるのではないだろうか?」と問うのと同じに思える。もちろん、そのように問うてもいい*1。しかし、それは誰の「都合」だろうか。

 なお、私は、〈当事者〉へのインタビューにあたって、彼ら・彼女らの不登校当時の親子関係や家庭での様子、学校その他の友人関係、不登校の「きっかけ」や「理由」といった「不登校の実態」に関わることがらについては、語り手の自発的に語るかぎりにおいて重視するにとどめ、積極的な主題化は行わなかった。これまでの不登校研究で重視されてきたこれらの問いを禁欲したのは、次のような理由がある。
 第一に、「〈当事者〉にとっての不登校」を明らかにすることを目的とする本書において、「不登校の実態」がどのようであったかを詮索することは、重要なことではないからである。‥‥
貴戸理恵不登校は終わらない』、p.102)

  • こちら↓の書評にも同様の指摘ができる。

不登校児は猫か?, 2004/12/12
レビュアー: カスタマー   江戸川区
不登校問題だけを考察しているが、不登校の特徴を理解するためには他の現象(例えば増大しているといわれる出社拒否問題)などと比べる必要があったと思う。また、歴史的に今に始まった問題なのか、他国と比べてどうなのか、学校の運営形態や階層と不登校の問題, etc. etc. もっと入念に調査すべき点はあったはず。言説だけで理解できるほど軽い問題ではないだろう。全体的にセンチメンタルな域を出ない分析で、表紙の装丁がそれを象徴しているように思えます。

  • どうしてこういう「本の読み方」ができるのかよくわからないし、「他の現象」や「他国」の状況などを入念に調査する必要があるのかどうかもわからないが、もしそうした調査を行うのであれば、その結果として、ますますこの本はそれ固有の意義を主張できてしまうようにさえ思う。(そうした調査は「当事者」の「語り」には迫っていないのだ、というように*2。)

*1:し、そこから議論が発展することがあることは否定しない。ラーメンを扱うそば屋は儲かるかもしれない、など。

*2:そばはラーメンではないのだ、というように。