# toled 『遅くなりました〜!
朝倉景樹さんいわく、
「児童精神科医・心理学者・カウンセラーには…<登校拒否>を病理ととらえ、「治療」の対象と見做すものも少なくなかった。そんななかで、「登校拒否にみられるさまざまな症状や状態は、とくべつな病気や異常によるものでなくて、子どもが登校できないために、心理的に追いつめられて惹き起こされてくる二次的な反応である」と見る児童精神科医やカウンセラーたちも現われてきた。渡辺位は最も早くからこの立場から<登校拒否>を捉えた代表的な児童精神科医である」
ここでは、渡辺さんが登校拒否を病理ととらえる立場と対比されていますね。ただ、「脱病理化」という言葉は使っとりませんね。。。
また、ヤマザキ・アツシさんはこう書いています。
「…ワタナベやワカバヤシのような数人の精神科医や小児科医は登校拒否の病理概念に反対した。皮肉にも、こうした医療専門家たちは登校拒否児の親に他の医療専門家を問いただす契機を与えた。登校拒否の脱医療化(demedicalization)でさえも一部の医療専門家の権威に大きく依存していたのである」
朝倉景樹『登校拒否のエスノグラフィー』
Yamazaki, Atsushi, ”The Medicalization and Demedicalization of School Refusal: Constructing an Educational Problem in Japan,” in Best, Joel, ed., Troubling Children: Studies of Children and Social Problems.』

  • なるほどです。後者はこんど機会があれば読んでみようかと思います。「登校拒否の脱医療化が一部の医療専門家の権威に大きく依存していた」のがおもしろいなー、というか、医療ってすごいなー、というか。なんというか、たんなる思いつきですが、この「(不登校の)脱医療化」というのは、「健康」の(再)定義とともにあったような印象があります。不登校を「病気」(や「怠け」)ではないとすることは、同時に、「健康」(や「生」)をあらたに意味づけることだったように思う。