‥‥理性と情熱のいずれか一方がより強いがゆえに勝利するような、内的葛藤と呼びたくなるようなことをわれわれはしばしば経験している。怒りやその他の諸々の感情がある種の理性であるとするストア学派の主張よりも、一見その方が常識的であるように思われる。けれども、怒りに我を忘れた人間がなおも自覚的に複雑かつ周到な仕方で行為することがどのようにして可能であるかを説明する場合には、ストア学派の方がプラトンよりもすぐれている。メデイアは自分の子どもを殺す。それはおぞましいけれども、熟慮された行為なのである。彼女は逆上し錯乱しているのではない。彼女を駆り立てている怒りが、理性とはいっさい関係のない仕方で、彼女を真に動機づけることはできるのだろうか?(p.12)

  • プラトンの『国家』は、ルネサンスに一度注目を浴びたあと、17、18世紀には無視されてしまう。ふたたび注目されるのは、19世紀。最初の英訳は1804年、ミルのサークル、ジョージ・グロート、ベンジャミン・ジョウエット。;