• 茂木敏夫『変容する近代東アジアの国際秩序』、世界史リブレット41、山川出版社、1997年 [bk1]
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  • ヴェトナム:

ヴェトナムをめぐるフランスとの戦争
 ヴェトナム進出を企てていたフランスは、これを清朝との朝貢関係から離脱させて、独占的な保護国にしようとした。これにたいし清朝は、両属的な関係を構築して、フランスとの優越的地位を容認しつつ、朝貢関係も存続させようとしたが、あくまでも排他的・独占的な保護権にこだわるフランスとの妥協点が見出されず、ついに戦争に陥ってしまった。これがいわゆる清仏戦争(1884-85)である。(p.55)

 清朝朝貢し「安南国王」に封じられていた黎朝(1533-1789)は西山党阮氏の反乱で滅亡した。その後、黎朝の有力豪族阮福英は、フランス人宣教師ピニョーと結び、彼の支援のもと、彼が本国からつれてきたフランス人志願兵の助けも借りて、1802年ヴェトナムを統一し、フエに都をおいて阮朝を建て、その後自ら嘉隆帝を称した。阮朝は中国式の制度を採用し、さっそく1803年中国に朝貢し、翌年「越南国王」に封じられた。他方、南方にたいしては「南の中国」として臨み、カンボジアラオス、周辺の民族などと朝貢冊封関係をもち、「大南国皇帝」として君臨していた。
 阮朝建国のときから特別な関係にあったフランスは、その後、ナポレオン三世国威発揚政策の一環としてヴェトナム進出を始め、1862年サイゴン条約を結んでコーチシナ東部三省を獲得した。さらに67年にはコーチシナ西部三省も実力で併合した。(p.55)