『論研』第二巻について、1925年の回顧:

「第二巻の各研究における主眼点は、われわれが思考する際にわれわれの内部で行われる論理的“体験”へ直観を反転することであった。われわれが自然的-根元的態度で思考活動を遂行している場合には、われわれはそのような論理的諸体験には少しも注目していない。現に思考しつつある者は自己の“思考体験”〔そのもの〕については何も知らず、自己の思考作用が産出しつづける思想〔=思考内容〕について知るのみである。〔それ故われわれは〕秘かに営まれるこの思考生活を、それに続く反省によって把捉し、そしてそれを正確な“記述的”諸概念の中で固定せねばならなかったのであり、そして更に新たにそこから生ずる問題、すなわち
 この内的な論理的“体験の能作”の中で、あの精神的形成体〔=概念、判断、推論など〕がいったいいかにして形成されるのか
という問題を解かねばならなかったのである」
(1925年の講義録『現象学的心理学』S.21 in 『論研』第二巻,訳者あとがき,p.292)

また

現象学全体の主たる関心は〕イデア的存在者(idealitaten)にあるのではなく、それらイデア的存在者の固有の領域に安住し満足してはいられない」(S.26)

とも言われる。