『論理学研究』第一巻を読む。1918年には以下のような回顧;

私は‥‥『イデーエン』に先立つずっと前に、決定的な諸洞察に迫っていたのです。『プロレゴーメナ』の立場を私はずっと前に正しくないものと、ないしはただ本質真理に対してのみ正しいものと認め[4]、そして本質真理と事実真理との間の基礎的差異の諸根拠を明らかにしました。

誤りは、何よりもまず、述語的な判断命題・意味に関する判断体験における、「意味」と「命題」とを、“本質”として、あるいは本質(“スペキエス”)の意味における「理念」として、とらえる点にありました。一つの命題の意味が偶然的な判断および判断者から独立しているということは、まだ、理念的同一者(das ideal identische)が一つのスペキエス的なものであるということを意味しません。しかしそこから、最深の構成的諸問題の究極的解明の道が開けてきます。この構成的諸問題が根源的時間意識にかかわるということは君にははっきりしているでしょう。この構成的諸問題を今私は扱っているのです。‥‥
(1918年4月5日,インガルデン宛て,『フッサール書簡集』,pp.18-19)