以前述べた「障害の受容」といわれるようなテーマに関連して

 野辺明子・加部一彦・横尾京子編『障害をもつ子を産むということ』、中央法規、1999年

をとりあえず読了。

冒頭に

障害をもつ子どもが生まれるということは何も特別な問題ではなく、誰にも、どんな家庭にも起きうる問題だからだ(野辺明子「はじめに」、p.3)

という――「不登校」に対するそれと同じような――宣言が置かれているだけでも比較可能性は明らかだろう。(もちろん、比較と同一視は違う。むしろ逆である。)

たとえば:

体験談を読んでもわかるように、重複障害をもって生まれてきた子どもは、誕生後数か月も自宅に帰れず長い病院暮らしが続く。かかわる医師も一人ではなくいくつもの科にわたり、手術を受ければ麻酔科の医師とのつきあいも生じてくる。極度の緊張と長く続く入院生活からくる疲労や、先の見通しが立たない絶望感など、親にとっても過酷な日々だ。そのようななかでの医師と親との関係である。
 あらためていうまでもなく、親にとって医師はやはり絶対的な存在である。(野辺明子「障害をもつ子の親の立場から」、p.233) 

など。