• カンギレム[1966→87]『正常と病理』、滝沢武久訳、法政大学出版会

 ‥‥地震や暴風に対してどのように行動したらよいのか? 病気についてのあらゆる存在論的学説の首唱は、恐らく、治療への要求に帰せられなくてはならない。‥‥すべての希望が失われてしまわないためには、病気が人間を襲うのだと考えさえすれば十分である。薬物や呪術的儀式に対して治療への希望の強さを伝えるための無数の策を、魔術は提供する。‥‥〔たとえば〕伝染病が細菌から起こるという理論は、たしかにそこに含まれている病気についての存在論的表象に、その成功の無視できぬ部分を負うているといえる。‥‥顕微鏡、彩色、培養といった複雑な仲介物がそこに必要であるとはいえ、細菌を目で見ることはできる。それの毒気や影響力を見ることはできないが。存在を見ることは、すでに行為を予見することである。伝染病理論を治療に延長することに関して、伝染病理論の楽観的な性格をだれも否定しないだろう。‥‥
 しかし、安心したいという欲求を感じるということは、苦悩がいつもその考えにつきまとっているということである。また病気にかかった身体を望ましい規準に回復する手当てが、技術――魔術的技術であれ実証的技術であれ――に任せられるということは、よいことを自然から何も期待していないということである。(pp.13-4)