‥‥あの空想家のランテナスは医学について一つの定義をこしらえた。それは短いものであるが、一つの歴史全体の重みをもっている。「ついに医学は、そのあるべきものとなろう。つまり、自然的・社会的人間に関する認識である」。
 十八世紀末に至るまで、正常性というものは、暗黙のうちに、しかもたいした内容もなく、医学的思考の中にふくまれていた。つまり、ただ病気を位置づけ、説明するための、単なる照合点としてである。ところが、十九世紀にとっては、正常性というものが、完全に浮きぼりにされた形象となる。病気についての経験を解明するのに、その正常性から出発するからである。また生理学的知識というものは、かつては医師にとって末梢的なものにすぎず、単に理論的なものにすぎなかったのだが、これがあらゆる医学的思考の中心を占めるようになる(クロード・ベルナールがその証拠である)。そればかりではない。十九世紀における諸生命科学の威信、それらがとくに諸人間科学において演じたモデルとしての役割は、生物学的諸概念の包括的かつ転移可能な性格に原初的にむすびついているわけではなく、むしろ、これらの概念が、健康的なものと病的なものとの対立に対応する、深い構造をもった空間の中に配置されている、という事実に結びついている。集団や社会の生活、民族の生活、あるいは「心理的生活」について語るときにさえ、ひとがまず思い浮かべるのは組織化された存在の内的構造のことではなく、正常性と異常性との医学的両極性のことなのである。‥‥人間に関する諸科学が諸生命科学の自然的延長線上にあらわれたとすれば、その理由は、人間科学が生物学的な基盤をもっているからでなく、医学的な基盤をもっているからなのである。(pp.58-9)