2004年6月12日(土) 晴れ
著者らが危険視しているのは,個々の問題がすべて個人の内面の問
題にすりかえられることと,心理学が国家権力による国民のコント
ロール手段として使われること。
そして,権威のために国家権力に積極的に協力する大物心理学者
(河合隼雄)への疑念。
「こころのノート」に関する分析の引用は興味深い。‥‥
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/9846/diary.html

著者らが持ち出している例で言うならば,池で鯉が死んでいる時に真っ先にすべきなのは水質を汚染している何かを追求することではなくて,まずは鯉を助けるための対症療法をすることではないだろうか?それと平行して,社会そのものに含まれる「本当の原因」に対して声をあげていくのが,学者(特に臨床や教育現場に関わる者)のあるべき姿ではないか.ある権力者を攻撃するのに終始し,苦しんでいる人たち(クライアントや“問題”を抱える子供たち)をなおざりにすることが,果たしてやるべきことなのだろうか?という意味で,実に反面教師となる内容の本であった.
http://pvq.jp/toolbox/archives/000666.html

――というわけで*2、見事に「著者ら」とひとまとめにされちゃってますねえ。。まあ。「著者ら」も(明示的には)自分たちの意見はちがう、とか言ってないですし。かの斎藤環センセー(『心理学化する社会』)も、おなじようにひとまとめにし*3、当の「批判」のいくつかをうやむやにする論述がなされていましたし。なやましいハナシです。いろんな意味で。

*1:なに?

*2:太字強調は引用者。

*3:ただし、小沢・中島の別の論考が対象になっていた、という違いはある。98頁以下。