周知のようにデカルトは人間にしか霊魂の存在を認めず、人間だけが思考と意志と情念をもつのであって、動物は理性をもたないことはもちろん、「意志」をもって行動したり、「悲しみや喜び、愛や楽しみ、ひどい苦しみ」などさまざまな情念を抱くように見えても、それは見かけだけで、実は「時計」のようなただの機械にすぎないと主張した。デカルト派の多いポール・ロワイヤルの僧院やオラトリオ派の修道院で、隠者や修道僧たちが犬を情け容赦もなく打擲し、犬が泣き叫んでも「動物はただの機械ですからな」などといって動じなかったり、平然と動物の生体解剖をしたというような逸話が残っているが、その背景にはデカルトのこのような思想があった。これにたいして、たとえばガッサンディによれば、動物も感情をもつのはもちろん、なんらかの思考作用をもおこなうのであり‥‥、そして動物においても人間においても、思考作用をおこなうのは「動物的霊魂」とよばれる一種の物質、もっとも精妙な物質、いわば「アトムの精髄」ともいうべきものであって、この「動物的霊魂」の段階では、人間の霊魂と動物の霊魂のあいだに質的な差異はないのだが、人間だけはさらにその上にもうひとつ、精神的な不死の霊魂をもつのだという。(pp.150-1)