‥‥1980年代に入って、国有企業が次々と民営化(privatization)されていき、市場原理を導入した経済政策が積極的に取り入れられるようになった。それと並行して、年金や健康保険などの社会保障が少しずつ手薄になってきた。
 このような社会的背景のなかで、教育改革が日本でも行われていようとしていることを忘れてはならない。社会保障に投入する税金を少なくし、市場原理を教育にも導入しようとしている。そして、教育の投資効率を高め、自分の道は自分で切り開いていける能力を身につけることが急務とされた。生きる力を一人ひとりの国民が身につけていれば、社会保障にかける予算は少なくて済む。自分のことは自分で責任をとらなければならない、自己責任社会に日本もなりつつあるのだ。
 公立の学校も、少しずつ自由に選べるようになってきた。高校や大学はいうまでもなく、公立の小・中学校も自由に選択できるというのは、一見とても自由な社会であるかのように思える。しかし、自由には必ず責任が伴うことを忘れてはならない。自分で選んだ学校に対しては、自分で責任をもつことが要求される。
 国や地方の行政が、生まれてから死ぬまでの間、国民の面倒をみる割合を減らしていくためには、一人ひとりの生活知の水準が高くなくてはならない。‥‥一人ひとりの問題解決能力や自立能力を高めて生きる力を養うことによって自己責任能力を向上させれば、国が支出する資金は少なくてすむようになる。‥‥(小宮山博仁「市民社会と基礎学力」)(p.32-3)