• ハーバーマス『理論と実践:社会哲学論集』(1963)
  • 読み終わらない。
    • 「古典的政治学」(1961年の講演)

 トマスは、一面においては、まだ全くアリストテレス以来の伝統のなかにとどまっている。彼によれば、国家は人間たちの生存維持のために建てられたものであるかも知れないが、その存立はひとえに善い生活を目的とするものである。「なぜなら、もし人びとがただ生きながらえるためにのみ結集しようとするのだとしたら、動物や奴隷も国家(civitas)の一員だということになるであろう。またもし、人びとが富を得るためにのみ結合するのだとしたら、経済的交易におなじような関心をもつ人びとは、みな同一国家に所属するはずであろう」(13)。市民たちに有徳な行為と、ひいては善い生活への資格をさずけるような共同体であって、はじめて国家の名に値するのである。
 しかしトマスは、他面においては、この共同体をもはや生粋の都市国家(polis)とは理解していない。国家(civitas)は知らず知らず社会(societas)と取りかえられていたのである。トマスは、否応なしに古い政治学から距たってしまった。このことが何よりもあざやかにうかがわれるのは、彼が政治的動物(zoon politikon)というアリストテレスの言葉を直訳して、「人間は本性上、社会的動物(animal sociale)である」(14)と述べている言葉においてである。別の箇所では、「人間にとっては、社会的で政治的な動物(animal sociale et pliticum)たることが本性である」(15)とも言われている。(pp.20-21)