というか、すでに同じようなことを述べているようなひとがいたり。

これ、修論を出版したことになってるんですけど。この修論は「これまで」の「逸脱か選択か」という観点を超えて、当事者の語りを通してその「本音」にせまる、とかなんとかがコンセプトなんですよねえ。だったら類型論を先行研究としてリファーするのは当然としても、それで分析することはないでしょ(ウソ書いてんのか?)。

いや、ほんとにねぇ。。類型とかなんのためにあるのかナゾというかなんというか。。(修論ちょっとだけ読ませてもらったことがあるのですが、その段階で少しは指摘したんですけどねぇ。。)