• 稲村博『思春期挫折症候群:現代の国民病』、新曜社、1983年
  • ようやく読む。昨今の「ひきこもり」についての議論と比べると、やはり、親の語られ方が気にかかる。事例報告ではどの親もあまり語られない*1一方で、発症の「契機」(「挫折」)の分析では、家の「引越し」や「父親の単身赴任」、「親の離婚」などがはっきりと語られる。また、発症の「背景」「要因」として、「本人の性格」と並んで、「家庭環境」――「両親の過剰対応」「父性欠如」「不仲」「母子家庭・父子家庭」などなど――が繰り返し指摘される。
  • たとえば「放任」*2

〔この症候群の背景の〕他の一つは、放任である。これはたいてい父性欠如に母性欠如が加わったもので、両親ともが父性も母性も子どもに対して発揮しないタイプだといえる。こうした家庭で子どもが育つと、子どもは非常に愛情に飢え、情緒が円満に発達しないほか、人が信頼できず、孤独で、道を踏みはずしやすい。また発達の障害をきたすため、つまずきにも崩れやすい。放任には、物理的放任、つまり両親が物理的にいないものと、心理的放任、つまりいるにはいるが父性も母性も発揮しないものとがある。(p.148)

*1:というかステレオタイプというかなんというか。

*2:今風にいうと「ネグレクト」だろうか。