• 稲村博『登校拒否の克服:続・思春期挫折症候群』、新曜社、1988年
  • つづけてもう一冊。ちなみにこの本が出たのは1988年7月。物議を醸した(らしい)朝日新聞の記事は同年9月16日:

この新聞記事でいろいろ大変なことがおこった。
今まで見守っていた母親に、父親がこの新聞記事をつきつけ「すぐ精神科へつれて行け。」と怒鳴ったり、親戚が来て、学校に行っていない子を病院へ連れていこうとした。
学校の先生もこの記事を家庭に送りつけ、その子が学校に行きたくないだけなのに病院へ行くように勧めた。
人々は一時的にパニックに陥った。
登校拒否・不登校は病気ではない。それなのに病気と診る人々が多かった時代があって、こんなことが起こるのも「子どもというものは学校は行くもんだ」と信じて疑わないので、行っていない子を理解できず「心の病」「精神に異常をきたした」と思いがちだった。
この時は、「登校拒否を考える会」や「東京シューレ」など不登校を異常視せず、なおすのではなくて、受け止める方向で考えてきた市民団体や居場所が力を合わせて、この動揺をくい止めるべく緊急集会を持ったんだ。300人の会場に800人もの人が集まって凄い熱気だった。新聞社にも抗議した。
この集会の後、次第に病気という見方が減っていった。
http://www.shure.or.jp/futoko/iroiro/09/01.html

  • この記事だけ読んでも「不登校は病気だ/病気ではない」という主張が、単に子どもの語られ方であるだけにとどまらないことが伺える。というか、それは、親の語られ方、二十代・三十代(の青年)の語られ方、専門家の語られ方でもあるのだと思う。子どもが学校に行くことを求められているだけではない。親は子どもに対する対応を期待され、専門家は治療の権限をもつとされ、二十代・三十代の「無気力症」は重大な――「登校拒否」以上の!――問題だとされているのだと思う。また、こうやって考えると、稲村博が、この「パニック」の後にもかかわらず、「無気力症」を取り上げ、『若者・アパシーの時代:急増する無気力とその背景』(NHK出版)という本を書いた(1989年4月)のも納得できるような気がする。それが書かれたのは、この「パニック」の後にもかかわらず、ではなく、この「パニック」の後だからこそなのではないか。