• 谷川稔・北原敦・鈴木健夫・村岡健次『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』、中央公論新社、1999年
  • ぱらぱらする。
  • 7月革命とドイツ:

 7月革命の余波はもちろんドイツの地へも波及している。各地で騒乱が起こり、ヘッセンザクセンなどでは憲法が制定されている。なかでも注目されるのが南ドイツの民衆祭典である。一八三二年五月二十七日からバイエルン領ライン左岸にあるハンバッハの古城に、三万人にのぼる市民、学生、手工業者たちが集まり、ドイツの「統一と自由」を求めて気勢をあげた。ブルシェンシャフトの黒・赤・金の三色旗にまじって、ポーランド国旗やフランスの三色旗がひるがえった。ポーランド人亡命者も参加したこの政治集会では、人民主権と共和制さらにはヨーロッパの民主的連帯を求める演説が飛び交ったが、参加した民衆の多くは、非日常的な祝祭空間を求めて集まった。‥‥
 このハンバッハ祭では明確な組織化や政治綱領が採択されたわけではなかったが、それでもメッテルニッヒとドイツ連邦諸政府をふるえあがらせた。バイエルンは軍隊を動員し、プロイセンオーストリアも徹底的な弾圧にのりだした。全土で一八〇〇人もの自由主義者が逮捕され、数千人が国外に亡命したといわれる。これ以後ドイツの自由主義運動は、合唱協会や体操協会のような非政治結社のかたちをとって存続するが、一八四八年までおおむね沈黙を余儀なくされた。一八三〇年以後も、中・東欧ではメッテルニッヒ体制が健在だったのである。(pp.74-5)