さて、ここでとくに目立つのは、フォイエルバッハがここでものちの著作においてと同様に唯物論という概念を用いていないか、あるいは非常にまれにしか用いていないことである。彼はこの唯物論というカテゴリーを使うことに疑念をもっているのだ。唯物論とは、彼にとっては、あまりに漠然としていて、あまりに得体の知れない、単に無機的物質と自然科学にのみ一面的に導かれていってしまうカテゴリーだったのである。彼はかつてこう書いていた。「唯物論」とは、それゆえ「全く不適当な、誤った表象を含んだ名称」であって、「思考の、魂の非物質性に思考の物質性が対立するかぎりでのみ正当化されうるものである。しかしわれわれにとっては有機的生命だけがあるのであり」、したがって「この自然観の立場」からしても「有機論」という「正しい表現」があるだけなのである(18[=Karl Grün : Ludwig Feuerbach in seinem Briefwechsel und Nachlass sowie in seiner Philosophischen Charakterentwicklung. Bd.1 und 2. Leipzig und Heidelberg 1874], 2, S. 307f.)。(pp.83-4)

  • 1850年代、彼の出版物はなぜ売れなくなったか:

[p.156]

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