この植民地白人支配層をスペイン語で「クリオーリョ(criollo)」といい、この言葉は高校の教科書にも取り上げられている。意味は「植民地生まれのスペイン系白人(父親と母親が両方ともスペイン系白人であることが要件)」であり、これにたいして同じスペイン人でも本国生まれの者は「ガチュピン」とか「チャペトン」とか呼ばれた。「クリオーリョ」は実際に歴史を書くうえで使わないわけにはいかない言葉なのだが、いくつか注をつけておきたい事情がある。
 第一にこの言葉は、蔑称とまではいえないけれども、あまり自称には用いない。クリオーリョたちは自分のことを、植民地社会のなかでの支配民族としては「スペイン人」と自称し、本国生まれのスペイン人に対抗するときには「アメリカ人」と自称していた。一つだけ用例をあげるとボリバルは有名な「ジャマイカ書簡」の一節でつぎのように述べた。「われわれアメリカ人は、生まれとわれわれの権利からいえばヨーロッパ人であり、その権利をめぐってこの国の土着の人びと[先住民]と争わねばならないが、ところが一方ではこの国で侵略者[スペイン人]の侵略に抗してもちこたえなければならない立場だ」。(p.15)