• 内藤朝雄『いじめと現代社会』、双風舎、2007年
  • 読了。からみにくいというかコメントしにくい本。あとがきでは、本書を「道具」としながら、「この道具を使いこなしてほしい」と書いてあったが[p.195]、なかなかむずかしいと思った。単純に言いたいことがわかりにくい箇所も多い。
  • たとえば、死刑についての議論[pp.67-73]は、結論については理解も同意もできるが、「人間の尊厳のゼロ化」云々についての議論は疑問をもった。著者は、人間の尊厳を踏みにじるような犯罪を放置することによって「人間の尊厳のゼロ化」が起こらないために、理念的には死刑(じっさいには終身刑)が必要であると述べるが、ほんとうだろうか。わたしはそうは思わない。そもそもどういう事態が「人間の尊厳のゼロ化」であるのか、本書の議論からだけでは、よく理解できないからである。たとえば、もし仮に、本書で引かれている光市事件の被告が死刑にならなかったとしたら、「人間の尊厳のゼロ化」が起こるとでもいうのだろうか。すでに被告は――相応かどうかは置くとしても――多くのサンクションを受けていると思えるのだが。加えて、やや蛇足になるが、被害者救済の仕組みは別に厳罰化を伴わなくとも可能である。
  • 念のためにいえば、「尊厳のゼロ化」といって、唯一わたしが想像可能なのは、たとえば、伊勢粼賢治『武装解除』(2004年)で描かれているような紛争・内戦における――平和の代償として正義を犠牲にしなければならないような――悲劇である(p.103fほか)が、ただし、そうした例においても、死刑が「人間の尊厳のゼロ化」を防ぐために有効であるとは思えない。