• 萱野稔人『権力の読み方:状況と理論』、青土社、2007年
  • 読了。「序論」では、ヴェーバー的権力観とアレント的権力観、そしてとりわけ「国家権力」を参照しながら権力について論じ、フーコーの権力論を紹介する。「状況1」「状況2」では、現代のテロリズムや日本の構造改革、フランスの暴動やポピュリズムの台頭が論じられ、最後の「理論」では、フーコーの議論がさらにくわしく論じられる。
  • というわけで、全体のまとまりはあまりよくない本に思えた。たとえば、著者の依拠する(らしい?)フーコーの権力論や方法と個別の状況論がどれだけ噛み合っているのか、一読するだけではわかりにくかった。序論では、フーコーは「身体の政治的テクノロジー」としての権力(や「身体をとりまく戦略的で工学的な仕掛」)を分析したとされるが、本書の「状況」論は、それとはかなりちがうことがらを分析しているのではないだろうか。フーコーの分析した権力と国家権力とは「相互に補完しあっている」と述べられており(p.34)、それはそうなのだろうが、そうした視点が個別の状況論でも活かされているようには思えない。論文集だから(まとまりがなくても)仕方がないといえばそれまでだが。
  • くわえて、内容についていえば、フーコーの権力論の解説としてはその手の本はたくさんあるし(多数あるのでいちいち例はあげない*1)、「権力論」自体の学説史的変遷を知りたいのであれば、盛山和夫『権力』(東京大学出版会, 2000年)が優れている(簡単なものとしては, 川崎修・杉田敦編『現代政治理論』(有斐閣, 2006年),第二章がおすすめ)。さてではなにがこの本の利点・長所なのだろうか、となると、答えが浮かばない、というのが正直なところである。個別の「状況」論だって、どこかで読んだことのある話だったし(酒井直樹渋谷望といった論者の名前が思い浮かぶ)。
  • 細かい論点や言い回しなどを除けば、とくに間違った議論が行われているとも思わないが、もしこの本が「評価」されているのであれば、それはやや不可解なことだと思う。目新しさではなく、平易さが評価されているのだろうか。せっかくの機会なので、同じ著者、そして評判の(?)『国家とはなにか』もじきに取り上げたい。

*1:最近読んだものの中では, 佐藤嘉幸『権力と抵抗』(人文書院, 2008)がフーコー読みとして共感的にかつたのしく読めた.ただし, やや硬いというか専門的.