斎藤美奈子[2002]『戦下のレシピ:太平洋戦争下の食を知る』、岩波アクティブ新書

 節米が必要になった二番目の理由、それは当時の日本人が驚くほどの量の米を食べていたことだ。
 日本の歴史のなかで米の消費量がもっとも多かったのは、1921-25(大正10-14)年だ。‥‥食生活改善運動などの結果、昭和に入って一人あたり消費量は減ったものの、人口が増えた分、総消費量は上がり続け、1940年(昭和15)年ころにピークを迎える。
 そのころの年間消費量は1200万トン。一人あたり〔の年間消費量は〕約一石一升(約152キロ)。一人一日約三合(450グラム)、都市ではもっと多くて約三合半(500グラム)食べていた計算になる。三合、三合半と軽くいうけど、これはかなりの量なのだ。ご飯にすると、お茶碗で9-10杯分。一日三度、三膳ずつおかわりをしていた勘定だ(余談だが、宮沢賢治の詩にある「一日ニ玄米四合ヲタベ」は多すぎるとして敗戦後の食糧難の時代に三合に書き換えられたという)。戦後の消費量のピークであった1962(昭和37)年(120キロ)の3-5割増、現在の消費量(65キロ)の三倍近い。(pp.65-6)